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吹奏楽コンクール名演奏を語る 1985年 雄新中学校 課題曲C 喜歌劇「こうもり」序曲 

吹奏楽コンクール名演奏を語る 1985年 雄新中学

課題曲【C】シンフォニックファンファーレとマーチ 仲本政国

自由曲 喜歌劇「こうもり」序曲 

ヨハン・シュトラウスⅡ世

 

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目次

 

雄新中学校と言えば1987年の36人で演奏した「エルザの大聖堂への行列」が名演奏として語られてますが、この1985年のこの演奏、普通の吹奏楽ファンの中ではおそらく「名演奏」と語られることはないと思います。銀賞ですし。しかし自分の中では「自分の音楽への取り組みを変えた」演奏なんです。

 

自分はこの演奏を全国大会ではなく四国大会で生で聴きました。

 

課題曲【C】シンフォニックファンファーレとマーチ 

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おそらく課題曲の冒頭を聴いただけだと全国大会の演奏とも思えないような感じですし、様々技術的に難点はありますが、

とにかく演奏に妥協がない。

妥協がないというのは楽譜を作曲者の意図の通りに演奏しようとしてるという事。

吹奏楽だけじゃなく、合奏というものは様々な楽器が集まって演奏するわけで、それぞれ楽器の特徴があって作曲者の意図するような動きにはなかなか出来ないもの。作曲者も楽器の事は分かって作曲してるけど、だからと言って個々の学校のレベルまで考えて作曲出来るわけもないのでね。

金管五重奏とかをやってみるとよくわかるけど、自分がチューバ奏者として、トランペットとユニゾンを吹くのとホルンとユニゾンを吹く、トロンボーンとユニゾンを吹くのでは音の出し方、ニュアンスの付け方がまるで変わってくる。チューバがチューバとして吹けば良い場面ももちろんあるけど誰かと一緒に吹く場合、楽器間の掛け合いがある場合なんか、同じ金管楽器同士でも結構様々苦労するものなんですよ。

この雄新中学の課題曲は、その作曲者の意図を完璧に再現しようという意図が感じられる演奏。正直、自分も中学生でこの曲を演奏しましたけど、そんな事考えてもなかったし、わかってる部分でもそれを体現するのはなかなか難しく、指揮者もそこを無理には突いてこなかった。

妥協したんですね(;^_^A

全国大会の他の団体の演奏も聴いてみたけど、この演奏程そう言う事にに拘った演奏は無いなと。何より参考演奏がそこにあんまり拘ってないし(;^_^A

もちろんそれをやろうと思ったら相当の技術力が必要。

聴こえにくい音を聴こえさせてそれをしっかり音楽として表現する。動きの掛け合いを強いニュアンスの楽器と低音楽器でしっかり動きを出してる。

自分がチューバなのでやっぱり耳が行くけど、トロンボーンとチューバの技術力の高さは半端ない。

 

喜歌劇「こうもり」序曲 ヨハン・シュトラウスⅡ世

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自由曲の喜歌劇「こうもり」序曲は、現在のコンクールではほぼ演奏されなくなりましたね。鈴木英史氏編曲の喜歌劇「こうもり」セレクションが発表されてから「こうもり」と言えばセレクション。的な感じ。

技術的難易度は天と地ほど差がある。

この「こうもり」序曲は相当に難しい。

こうもりセレクションは中高生の吹奏楽部でも演奏しやすいようにアレンジされてるけど、これはそんな意図は全くなく、難しい弦楽器の動きを全て木管楽器で演奏する。弦楽器の動きを全部タンギング入れて演奏「しようとして」それがほころびになってる部分も多々あるけど、それなりの完成度になってる。

その攻めた演奏はこの前の年1984年の「運命の力」でも顕著。テンポ的な妥協は全くなし。とんでもない速さで指を回し、タンギングをする。普通は演奏しやすいテンポにしてサウンドを重視して、、、。となるものだが、雄新中学は全く。

さらに中間部にある超繊細なピチカートを管楽器で完璧に再現してるのは凄い。

こう言う所にも全く妥協がない。

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話を戻して(;^_^A

 

喜歌劇「こうもり」の作曲者、ヨハンシュトラウスⅡ世と言えば、ウインナ・ワルツの代表的な作曲家。

ウインナ・ワルツに関して自分はそこまで詳しくないけど、ワルツは三拍子の舞曲で、ウインナ・ワルツと言うのはウィーン特有の「なまり」があるのは知ってる。

 

三拍子なので、リズムは永遠に1、2、3、なわけだけど、1拍目と2拍目が詰まる。、、、。2拍目が少し早く入る感じ。

 

ズン・チャッ・チャッ

ズン・チャッ・チャッ

 

 

ズチャッ、・チャッ

ズチャッ、・チャッ

 

になると言うもの。

 

、、、。

 

超わかりにくい(⌒-⌒; )

 

右脳で感じて下さいm(__)m

 

何故2拍目を早くしたか。

 

自分が昔噂話的に聞いた説は2つあって、

・舞踏会は長いので、楽団の人間が疲れて、もしくは退屈で悪戯してリズムが曖昧になったのが理由。

とか。

・踊る側の女性のドレスの動きを丁度拍に合わせるように2拍目を早くした。

とか。

 

信憑性に欠ける(⌒-⌒; )

 

宮廷でのワルツのステップにその理由があるそうですが、詳しくはこちらを。

なんちゃってウインナ・ワルツ講座 ホルン吹きTadasの独り言

自分なりの理屈と書いてらっしゃいますが、それなりに納得出来る理由です。

 

で、この雄新中学の「こうもり」は、このワルツを「ウインナ・ワルツ」にしてる。もちろん、ウィーンの中学生が演奏してるわけではないので「なまり」をちゃんと表現出来てるかと言ったらそんなわけはないけど、そこに挑戦してそれなりに仕上げてあるのが凄いわけです。

ちょっと揃いすぎてて軍隊っぽい感じだけど、これをこのレベルにするのは指導者の執念と生徒の努力だと思います。

 

オーボエ

こうもりの中間部のオーボエのソロはプロ級。その場で聴いてた自分としては、低音の凄さ以上にこのオーボエにはやられました。

 

雄新中学吹奏楽

愛媛県松山市にある。

雄新中学の吹奏楽部は1970年代から吹奏楽コンクールでは四国大会に出場する学校ではあったが、1980年に鈴木清先生が着任、1981年に全国大会初出場から1987年まで7年連続全国大会出場。金賞2回、銀賞4回、銅賞1回と言う成績。1987年に学校が分離、吹奏楽部員もバラバラになり、1987年のコンクールでは36人と言う小編成並みの人数で全国大会に出場。36人で演奏したエルザの大聖堂への行列は名演奏と語り継がれる。

 

1987年自由曲 歌劇「ローエングリン」より「エルザの大聖堂への行列」

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学校分離、鈴木清先生の転勤?昇進?により1988年、1989年は四国大会止まりだったが、白石道明先生のもと、全国大会に復活。しっかり伝統は残っていたのだなと。そこから2003年まで多くの年で全国大会に出場。しかし2003年を最後に全国大会には出場していない。記録を見るとどうやら四国大会にも出場していないようです。

鈴木清先生

当時の指揮者の鈴木清先生。自分は実際見たことはあるけど、当時の印象は「しかめっ面」でした。実際この鈴木清先生、相当なスパルタで有名な先生。指揮台の横に何か投げるものがあって、合奏でミスるとそれが飛んでくるとか、殴られるとか、様々噂は隣の県まで聞こえてきてました。大学に雄新中学出身のやつがいたので聞いてみたら、スパルタは実際そうだったらしいです。しかしそれは部活だけの事らしく、しかめっ面はそうなんだけど、めっちゃ面白い人だったそうです。

 

当時はスパルタな先生というのはわりと普通で、実際指導する側に回ってみるとまだ自分をコントロール出来ない中高生を50人も同じ意識を持って取り組ませないといけないのだからある程度のスパルタはありだと思うけど、今の時代は絶対ダメだしね。この当時でも鈴木清先生のスパルタはそこそこ問題になってたそうです。やる気のある生徒は良いけど、ついて行けずに辞めてった生徒もいるだろうなと。なかなか難しいね。指導というのは。

 

しかし鈴木清先生が作る音楽は、大人になって、音楽もそこそこ勉強した自分が聴いても説得力充分。あの時見た雄新中学の生徒は輝いていた。

 

素晴らしい先生だったんだと思います。

 

 

自分の話

ここからは自分の話です。おっさんが語ってるだけなのでどうぞスルーして下さい。

 

1985年。自分は中学3年生。

冒頭で書いた「自分の音楽への取り組みを変えた演奏」と言うのは、

自分の学校も2年連続で四国大会に進出。前の年が銅賞だったので「今年こそは」と気合いを入れ、しっかり努力してコンクールに臨んでました。と同時に、県大会で審査員に褒められた事もあり、有頂天で臨んだ大会でもある。

自分達の演奏が終わって、雄新中学の順番はわりとすぐだったと思うのですが、写真撮影が終わって急いでホールに聴きに行った記憶があります。

 

正直、有頂天だったので、雄新中学の演奏を聴いて叩きのめされましたね。

 

何もかもが違い過ぎる。

 

中学生の自分には何が違うのかよく分からなかったけど、自分達とは全く違うと言うことぐらいは理解出来た。特に低音の迫力には度肝を抜かれたなーと。

そこそこ自分でも自信を持ち始めてただけに余計強烈でした。

悔しいとかそう言う感じではなく、何が違うのかを考えさせられてしまった。そして何が違うか全くわからないまま、中学校での吹奏楽は終わってしまった。

 

高校で吹奏楽は続けたけど、全然上手い吹奏楽部ではなく、結果としては自分の空回りに終わってしまうのだが、しかしそれまで以上に練習はするようになったし、上手い人達と積極的に交流するようになり、最終的には音大まで進んで今でも音楽には関わってる。

 

この演奏を聞いてなかったら、自分はただの吹奏楽部員で終わってたと思います。

 

同年代の演奏を聴くというのは凄く大事な事で、上手くない学校ほど他校の演奏は聴かない。それが上手い学校の演奏だろうとそうでなかろうと、

 

聴いて何かを感じさせる

 

というのが出来れば、その生徒はそれまでとは違う行動を取り始めるかもしれません。

 

目的意識を持って聴かせる事が難しいんだけどね。

 

毎年コンクールはいくつも聴きに行くけど、演奏中におしゃべりしてる生徒を時々注意する。

 

自分の中には「うるさい!」という気持ちはなく「ちゃんと聴いとけ!」という気持ちで注意してる。

 

変なおじさんです(;^_^A