- 世界的な傾向
- コープランド 市民の為のファンファーレ
- ブラームス 交響曲第一番第四楽章より
- 鳴ってるトロンボーン
- 息を入れる
- 欲求不満
- フェスティバルヴァリエーションズ
- アンサンブル
- 吹奏楽コンクールならでは
昨日、愛知県吹奏楽コンクール代表選考会のライブ配信を見た訳なんですが、印象としてどの学校も美しくまとまっていて合奏としては非常に良い演奏だったと思います。
合奏としてまとまってるのは良い事なのですが、しかし、美しくまとめようとする事でその楽器本来の良さと言うものが消えてしまってる楽器がある。
それが、
世界的な傾向
吹奏楽コンクールの今の傾向、世界的な傾向として、柔らかい音と言うのがあるのは良くわかります。バリバリ鳴らすのではなく柔らかく響かせて他の楽器とブレンドさせる。そんな感じになって来てる。そして吹奏楽では木管楽器とのバランスを取る意味でも金管が鳴らし過ぎると良くない。コンクールでは過去に金管偏重型だった時代もある。とにかく金管が鳴らしまくって木管のアンサンブルが聴こえない。そんな講評が審査員からよく聞かれた。今のコンクールでは鳴らし過ぎの金管はうるさいと言われてしまう。
コープランド 市民の為のファンファーレ
しかしだ
この演奏を聴いてみて欲しい。
これは、コープランド作曲、市民の為のファンファーレ。演奏はニューヨークフィルの金管打楽器パートによるもの。
聞いてもらえればわかると思うけど、めちゃめちゃ鳴らす。ものすごく金管らしい響き。これを木管でやれと言われても無理です。
金管には金管の役割があって、もちろん合奏としての役割もあるけど、曲の中にそう言う役割の場面が必ず出てくる。作曲家はそれを求めて金管に音を書く。こう吹けと言ってるわけではなく、こういう色も出せるんだよと。
ブラームス 交響曲第一番第四楽章より
そしてこれもトロンボーンの響き
こう言う柔らかい色も出せる、しかしストレートないかつい色も出せる。
それがトロンボーン。
鳴ってるトロンボーン
昨日聴いた中でトロンボーンがトロンボーンの音を出してたのは3、4校ぐらいか。
しっかり息を入れて「鳴ってる」状態で柔らかい音を出すならそれもあり。しかしそれでも柔らかいだけではトロンボーンではない。曲中で激しい音を出さないといけない時もある。
それよりも、明らかに普段から息を入れてないなと思う学校が多数。
息を入れる
息を入れると言うのは、その場音を出すのはもちろんなんだが、楽器にその音の振動を覚えさせる意味もある。普段からしっかり息を入れてないと、楽器自体が本来の「鳴り」を知らない状態になる。
プロの奏者に1時間楽器を吹いてもらったら楽器が鳴るようになる。楽器本来の鳴りを知ってる人が吹くと楽器がその鳴りを知る。今その楽器を吹いてるあなたが、楽器に鳴りを教えてあげないといけない。
欲求不満
なによりさ、みんな高校生
そうやって吹いてて欲求不満にならんかなー。
トイズパレードのグリッサンドとかよくあんなにおしとやかに吹けるなと思う。
グリッサンドとか出てきたらこう吹きたくならんか?
1分25秒あたりと最後。
フェスティバルヴァリエーションズ
音域違うし場面も違うし比べるのもどうかと思うが、しかしよ、やりたくなるべよ。おりゃーっ!!トロンボーンにしか出来ひんぞ!!
と。
自分はトロンボーンじゃないが、やりすぎてよく怒られてた人間。
もっとむき出しな場面もあって良いと思うんだがなー。
アンサンブル
一緒に吹いてる楽器にもよる。重なった音で自分がどういう役割をしてるか。
トランペットと同じ動きをしてるなら直管楽器同士のストレートな音がいるし、音が高くて苦しんでるトランペットを下で支えてあげないといけない。チューバと一緒なら自分が音の芯にならないといけないだろうし、とか。
これはどの楽器でも同じだけど、演奏中に様々な楽器とアンサンブルをしてるわけよ。その場面場面で色を変えないといけない。中音楽器の宿命みたいなもん。
なんせ、昨日聴いてると、
色が柔らかい一色なわけよ。
吹奏楽コンクールならでは
自分は吹奏楽だけやって、聴いてきた人間じゃない。コンクール以外にも様々クラシック音楽を聴く。オーケストラ中心に。これだけトロンボーンが丸い音を出してるのって吹奏楽コンクールぐらいなんよ。だから、柔らかくまとめる場面はそれはそれで良いとして、曲中で行かないといけない場面はしっかり行って欲しいなと。トロンボーンらしい音を出して欲しいなと。審査員の先生だって自分のホームのオーケストラに行ったらめちゃ鳴らしてるはず。必要な場面で必要な音、色であればちゃんと評価してくれるはず。
昨日のコンクール、しっかり合わせてバンドを響かせようとするのはわかるんだけど、高校生の演奏にしてはやや消極的な演奏が多いように感じた。
そう感じるのは昨日だけじゃないんだけどね。